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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2928号 判決

控訴人(附帯被控訴人) (以下「控訴人」という。) 社団法人ビルマ関係者互助会

右代表者理事 戸田勝秋

〈ほか一名〉

控訴人両名訴訟代理人弁護士 中嶋忠三郎

天坂辰雄

湊成雄

阿部三夫

秋根久太

伊達秋雄

小谷野三郎

中村巖

吉田健

佐藤博史

被控訴人(附帯控訴人)(以下「被控訴人」という。) ビルマ連邦社会主義共和国 (旧国名ビルマ連邦)

右代表者特命全権大使 ウ・ソー・トン

右訴訟代理人外国弁護士資格者 トーマス・エル・ブレークモア

右訴訟代理人弁護士 若林清

三ツ木正次

田中徹

木村眞

上野修

主文

控訴人らの本件各控訴を棄却する。

被控訴人の附帯控訴に基づいて原判決を左のとおり変更する。

控訴人社団法人ビルマ関係者互助会は、被控訴人に対し、別紙物件目録第一記載の建物から退去して同目録第二記載の土地を明渡し、かつ昭和四九年六月二一日以降昭和五六年九月九日まで月額金三万七三一八円、同年同月一〇日以降右明渡済に至るまで月額金一八万五七八二円の各割合による金員を支払え。

控訴人戸田光子は、被控訴人に対し、別紙物件目録第一記載の建物を収去して同目録第二記載の土地を明渡し、かつ昭和四九年六月一六日以降昭和五六年九月九日まで月額金三万七三一八円、同年同月一〇日以降右明渡済に至るまで月額金一八万五七八二円の各割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも控訴人らの負担とする。

事実

第一申立

控訴人らは、「原判決を取消す。被控訴人の控訴人らに対する各請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求め、附帯控訴として、明渡を求める土地部分及び支払を求める金員を拡張し、「(一)控訴人社団法人ビルマ関係者互助会は、被控訴人に対し、別紙物件目録第一記載の建物から退去して同目録第二記載の土地を明渡し、かつ、昭和四九年六月二一日以降昭和五六年九月九日まで月額金三万七三三三円、同年同月一〇日以降右明渡済に至るまで月額金一八万六一〇八円の割合による金員を支払え。(二)控訴人戸田光子は、被控訴人に対し、同目録第一記載の建物を収去して同目録第二記載の土地を明渡し、かつ、昭和四九年六月一六日以降昭和五六年九月九日まで月額金三万七三三三円、同年同月一〇日以降右明渡済に至るまで月額金一八万六一〇八円の割合による金員を支払え。」との判決を求め、控訴人らは、附帯控訴棄却の判決を求めた。

第二主張

当事者双方の事実上及び法律上の主張は、左のとおり附加するほか、原判決事実摘示中、第二の一及び二のとおりである(但し、原判決四枚目表五行目「請求原因1」の次に「は争う。」を加える。)から、これを引用する。

(被控訴人)

一  附帯控訴について

1 控訴人戸田光子は、被控訴人の所有にかかる別紙物件目録第二記載の土地(以下「本件土地」という。)上に同目録第一記載の建物(本件建物)を所有し、又控訴人社団法人ビルマ関係者互助会(以下「控訴人互助会」という。)は、本件建物を使用占有して、それぞれ該土地を占有している。

2 前記土地の賃料相当額は、三・三平方メートル当り月額金三六七円五三銭であるので、該土地全部のそれは月額金一八万六一〇八円である。

3 よって、被控訴人は、土地所有権に基づき、控訴人戸田光子に対しては本件建物を収去して、控訴人互助会に対しては本件建物から退去して、本件土地の明渡を求めると共に、控訴人らに対し、該土地の共同不法占有による損害の賠償として、控訴人戸田光子については同控訴人に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四九年六月一六日以降、控訴人互助会については同控訴人に対する本件訴状送達の日の翌日である同年同月二一日以降請求拡張の趣旨を記載した準備書面が控訴人らに送達された日である昭和五六年九月九日までは月額金三万七三三三円、同日の翌日である同年同月一〇日以降前記土地明渡済に至るまで月額金一八万六一〇八円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

4 被控訴人は、原審において、控訴人らの占有にかかる土地の範囲は原判決別紙物件目録第二記載の土地(以下「請求拡張前の本件土地」という。)であるとして、右土地につき明渡を求めたが、控訴人らは、本訴提起の頃から逐次その占有の範囲を拡大し、昭和五六年九月初頃までに本件土地全部を占有するに至った。そこで、被控訴人は、控訴人らが現に占有している土地全部につきその明渡と損害金の支払とを求めることに請求を拡張することとし、右拡張部分につき附帯控訴を申し立てたものである。

二  控訴人らの後記二の主張について

1 土地所有権の時効取得の主張について

控訴人らは、昭和五六年七月七日午後一時の当審第二一回口頭弁論期日において、右時効取得の抗弁を提出するに至ったのであるが、控訴人らは、原審以来本件土地が被控訴人の所有に属することを認めてきたのであり、しかも、右抗弁は、昭和五三年二月二日午前一〇時の当審第七回口頭弁論期日において撤回した地上権の時効取得の抗弁と実質上殆ど同一の社会的事実に基づく主張であって、右は故意又は重大な過失によって時機に後れた防禦方法を提出するものというべく、これによって訴訟の完結を遅延せしめることは明らかである。よって、民事訴訟法一三九条一項により、右防禦方法の提出を却下するよう申し立てる。

仮に右申立が容れられないとすれば、控訴人らの主張事実は、すべてこれを否認する。控訴人互助会が本件土地(当初は請求拡張前の本件土地)につき占有を開始したのは昭和四七年六月一日以後のことであり(ちなみに、控訴人戸田光子の占有の開始時期は昭和四三年九月二〇日頃である。)、しかも、控訴人互助会の占有は悪意ないし重大な過失によるものである。

2 契約による地上権取得の主張について

前記主張事実は、これを否認する。

本件土地を含む別紙物件目録第二記載の一筆の土地(九二五五・五九平方メートル)が亡テイ・モン或いは訴外リンビン(テイ・モンの女婿)の個人所有であった事実はない。右土地は、旧ビルマ国(当時の駐日大使はテイ・モン)が昭和二〇年三月一五日訴外国土計画興業株式会社(当時の商号は箱根土地株式会社)から買入れ、同年五月二二日外国人土地法に基づく陸軍大臣及び海軍大臣の許可を得て、その所有権を取得し、第二次世界大戦終了後、被控訴人が英連邦を経由して、昭和二三年一月四日ビルマ連邦の独立によりその権利を承継取得したものである。

3 地上権の時効取得の主張について

前記1において述べたと同様の理由により、時機に後れた防禦方法として、右主張の却下を求める。

仮に右申立が容れられないとすれば、前記主張事実は、すべてこれを否認する。控訴人互助会の本件土地に対する占有関係は、前記1後段のとおりであり、しかも、同控訴人の占有は悪意ないし重大な過失によるものである。

(控訴人ら)

一  被控訴人の前記一の1、2の主張について

被控訴人の前記主張事実中、控訴人戸田光子が本件建物を所有し、控訴人互助会が該建物を使用占有して、それぞれ本件土地を占有していることは認めるが、その余は争う。

前記土地は、後記のとおり、控訴人互助会が時効によりその所有権を取得し、現に同控訴人の所有に属するのであって、被控訴人の所有に属するものではない。控訴人らは、一旦該土地が被控訴人の所有に属することを認める旨の陳述をしたが、右陳述を撤回する。

又前記土地は、未評価で課税の対象とされていないいわゆる非課税土地であって、賃料相当損害金算定の基礎がない土地であるから、他人がこれを占有しても、所有者に対して賃料相当額の損害を与えたものということはできない。

二  控訴人らの当審における新たな主張(控訴人らは、当審において、原判決の摘示にかかる抗弁をすべて撤回した。)

1 土地所有権の時効取得

駐日旧ビルマ国大使テイ・モンは、昭和二〇年日本を離れるに際し、訴外戸田クメ(訴外戸田勝秋の実母)に対し、別紙物件目録第二記載の三〇三番の六の土地(当時テイ・モン個人所有)及び隣接する旧ビルマ国大使館の敷地等について「土地も建物も全部使ってくれ、息子さんが帰ってきたら息子さんのために使うように。」と述べ、又同年三月ビルマに従軍中の戸田勝秋に会った際、同人に対し「あなたのお母さんに自分の土地を預けてきた、日本に帰ったら使ってくれ、自分が帰ったら半分位差し上げましょう。」と述べており、かかる事実は、テイ・モンが、自己所有の土地の管理のために必要な建物の所有を目的とする贈与ないし地上権設定の意思表示を戸田クメに対しなしたことを意味するものであり、かくて戸田クメは、所有の意思又は自己のためにする意思をもって右三〇三番の六の土地を占有するに至り、昭和二一年八月ビルマから復員した戸田勝秋は、戸田クメから同人の右地位を承継取得し、ついで昭和二二年一月二一日自ら控訴人互助会を設立し、同控訴人とともに右土地のうち本件土地について所有の意思又は自己のためにする意思をもって占有を開始したのである。

かくて、控訴人互助会は、その設立時(昭和二二年一月二一日)以来(仮にそうでないとしても後記土地上に慰霊堂である本件建物の築造工事が開始された昭和二三年八月以来)、所有の意思を以て、平穏かつ公然と本件土地の占有を継続し、その占有の初めに善意かつ無過失であったから、占有開始後一〇年を経過した昭和三二年一月二〇日又は昭和三三年八月に、時効により右土地の所有権を取得した。

2 契約による地上権の取得

仮に右1の主張が容れられないとしても、控訴人互助会は、次の経緯によって、本件土地につき地上権を取得した。すなわち、右土地を含む別紙物件目録第二記載の一筆の土地全部(九二五五・五九平方メートル)は、もと駐日旧ビルマ国大使であった亡テイ・モンが昭和一八年中に訴外国土計画興業株式会社(当時の商号は箱根土地株式会社)から個人としての資格でこれを買受けて所有し、同人の死亡後その相続人である訴外リンビンがその所有権を取得したのであるが、控訴人互助会は、昭和二九年二月中に当時該土地の所有者であったリンビンとの間において、本件土地全部につき、建物の所有を目的とし、期間は永久、地代は金九〇〇万円(但し、右地代については、控訴人互助会の代表者戸田勝秋が昭和二〇年以来九年間にわたって前記一筆の土地及びこれに隣接する旧ビルマ国大使館敷地並びにこれらの土地上の建物及び庭園等の管理(保安、補修及び整備等)を続けてきたことに対して支払われるべき同額の管理費用債権を以て、これに充てることにした。)として、地上権の設定を受ける旨の契約を締結した。次いで、昭和二九年五月に至り、控訴人互助会は、被控訴人(当時在日総領事であったミャット・タンが被控訴人を代表した。)との間において、被控訴人がリンビンから本件土地の所有権を取得することを前提として、前記契約と同一内容の地上権設定契約を締結したところ、被控訴人は、その後昭和三六年中に和解によって、リンビンから前記土地の所有権を取得した。

控訴人互助会は、以上の経緯によって本件土地につき地上権を有するのであるが、控訴人戸田光子は、控訴人互助会理事であり、かつその代表者戸田勝秋の妻として、右土地上に本件建物を所有し、かつビルマ方面戦没者慰霊堂の副堂守をしているのである。

3 地上権の時効取得

仮に前記1及び2の主張がいずれも容れられないとしても、前記1の前段に述べた事情のもとに、控訴人互助会は、その設立時(昭和二二年一月二一日)以来(仮にそうでないとしても後記土地上に慰霊堂である本件建物の築造工事が開始された昭和二三年八月以来)、地上権者としての意思を以て、平穏かつ公然と本件土地の占有を継続し、その占有の初めに善意かつ無過失であったから、占有開始後一〇年を経過した昭和三二年一月二〇日又は昭和三三年八月に、時効により右土地の地上権を取得した。

第三証拠関係《省略》

理由

一  まず本件土地の所有権の帰属について判断する。

《証拠省略》を総合すれば、被控訴人は、次のような経緯によって、本件土地の所有権を取得したことが認められる。すなわち、

(1)  第二次世界大戦中の昭和一七年八月一日、日本軍の占領下にあった英領ビルマに樹立されたバー・モウ政権は、翌一八年八月一日、ビルマ国(「旧ビルマ国」という。)の独立を宣言し、これと同時に我が国は、その独立を承認した。

(2)  旧ビルマ国は、その頃我が国に特命全権大使テイ・モンを派遣して、大使館を開設したが、その後、大使館の職員の住宅及び敷地の用に供するため、昭和二〇年三月一五日、大使テイ・モンが同国を代表して、箱根土地株式会社から、同会社の所有にかかる本件土地を含む東京都品川区北品川四丁目(当時は同所三丁目と表示されていた。)三〇三番の六外一筆の土地を、地上建物と共に買受け、右買受にかかる土地につき、同年五月二一日陸海軍各大臣に対し外国人土地法に基づく所有権取得の許可申請をして、翌二二日その許可を得た。

(3)  次いで、大使テイ・モンは、右買受につき旧ビルマ国のため所有権移転登記を経由しようとしたが、空襲の激化による官庁事務の停滞のため、登録税の免除の手続が遅れ、右登記手続を果せないうちに終戦となり、その後は旧ビルマ国の存続自体が危ぶまれる情勢に立ち至ったため、事実上同国名義に所有権移転登記を経由することは不可能となった。そこで、同大使は、当時親交のあった訴外伊藤鈴三郎名義でとりあえず所有権移転登記を経由しようと考え、同訴外人及び売主箱根土地株式会社の了解を得て、昭和二〇年八月三一日前記買受土地につき、当時登記簿上の所有名義人であった訴外益田太郎から中間省略の方法によって伊藤鈴三郎に対する所有権移転登記手続を了した。

(4)  旧ビルマ国は、我が国の連合国に対する降伏と共に壊滅し、前記買受土地は連合軍最高司令官の管理下に置かれることになった。他方、その所有権は、旧ビルマ国の承継者であるイギリス本国においてこれを取得したが、その後昭和二二年九月二四日、ビルマにビルマ仮政府が樹立され、翌二三年一月四日、連合王国政府ビルマ仮政府間条約が発効し、ビルマ連邦(被控訴人)がイギリス本国から独立する(我が国は、昭和二九年一二月一日黙示的に承認した。)に及んで、前記土地の権利についても被控訴人がこれを承継取得した。

以上の事実が認められ、他には該認定を左右するに足る証拠はない。

なお、《証拠省略》によれば、前記土地の買受による所有権取得につき陸海軍各大臣の許可のなされた昭和二〇年五月当時、ビルマ戦線における日本軍は敗退を続け、首都ラングーンは既に英国軍の手に陥ち、又旧ビルマ国軍が各地で日本軍に反乱する等の事態に立ち至っていたものの、バー・モウ首相その他旧ビルマ国政府首脳は、その家族と共に日本軍とその行動を共にし、同国内に留まっていたことが認められるから、右の時点で旧ビルマ国が完全に崩壊或いは消滅していたとは認め難く、従って、同年五月に陸海軍各大臣が同国による土地所有権の取得につき許可をしたことも故なしとはしないのである。

次に、控訴人らは、本件土地につき、控訴人互助会による所有権の取得時効を援用し、被控訴人の右土地に対する所有権の喪失を主張する。

被控訴人は、控訴人らの右主張の提出は時機に後れた防禦方法として却下すべき旨申立てるところ、右主張は、弁論終結直前の当審第二一回口頭弁論期日において提出されたものであり、本件訴訟の経過に徴すれば、時機に後れたものといわざるを得ないが、これによって格別新たな弁論や証拠調を要するものでなく、これがため訴訟の完結を遅延させるものとは認め難いので、これを却下することなく、以下に判断を加える。

控訴人らが、本件土地を控訴人互助会において所有の意思をもって占有するに至った経緯に関して主張する事実のうち、テイ・モンが戸田クメ及び戸田勝秋に対し、控訴人ら主張のようなことを述べたことについては、控訴人互助会代表者(原、当審)がほぼこれに沿う供述をしている(なお、右当審における供述によれば、テイ・モンは、戸田クメに対しても「自分が戻ってきたら、五〇〇坪なり一〇〇〇坪を差上げる」といったといい、又戸田勝秋がビルマでテイ・モンに出会ったのは昭和二〇年一一月であるという。)が、右各供述は、たやすく措信することができない。けだし、(イ)《証拠省略》によれば、テイ・モンは、昭和二〇年九月東京において戦争犯罪人として連合軍に収容され、翌昭和二一年香港、シンガポールを経て、さらにビルマへ送られる航海中の同年五月二三日死亡したことが認められるから、戸田勝秋が昭和二〇年三月ないし一一月にビルマでテイ・モンと会ったということは、甚だ疑わしく、(ロ)成立に争いがない甲第二六号証の二(別件における戸田勝秋の本人調書)によれば、戸田勝秋は、昭和二一年頃から同二三年頃までの間、別紙物件目録第二記載の三〇三番の六の土地は、隣接する大使館建物の敷地とともに、旧ビルマ国の所有であると考えていたふしが窺われ、又右証拠によれば、本件建物(慰霊堂兼住宅)が建築される際、戸田勝秋は、その敷地が地代を支払って借りているものではなく、いつ取毀しになるか分らない不安定さを伴っており、他に土地を得ようと思えば容易に手に入るからといって、当初右場所への建築に賛成しなかったことが認められ、そうすると、果して前記控訴人ら主張のような交渉があったかどうか、戸田勝秋又は控訴人互助会に所有の意思があったとみるべきかどうか、疑わしいといわなければならない。そして、テイ・モンが、仮に「五〇〇坪なり一〇〇〇坪を差上げる。」といったとしても、その面積も場所も指定されない以上、本件土地とは結び付かないのである。

又控訴人らは、控訴人互助会が、昭和二二年一月二一日(同控訴人の成立の日)又は昭和二三年八月(本件建物の建築の着工時)から本件土地を占有してきたと主張し、《証拠省略》の中には、右主張に沿うと認められる供述部分があるが、たやすくこれを採用して、右主張を肯認することはできない。以下にその理由の要点を述べる。

(1)  戸田勝秋の居住について。《証拠省略》及び前記甲第二六号証の二によれば、戸田勝秋は、昭和二一年七、八月頃復員し、当時母戸田クメ、姉戸田登志恵その他の家族が住んでいた旧ビルマ国大使館の建物内に同居したが、昭和二六年右大使館の建物を出て、品川区五反田三丁目六六番地へ移ったこと、同所には、右甲第二六号証の二の本人尋問が行われた昭和四一年一月当時も住んでいたこと、住民票によれば、戸田勝秋は、昭和四七年六月一日西五反田二丁目一六番一〇号から本件建物である北品川四丁目八番二号へ転入していること、執行官が点検を行った昭和四六年二月二三日及び同年九月一八日当時本件建物には戸田クメ及び戸田登志恵のみが居住し、他に占有者は存在しなかったが、昭和四九年一月二八日の点検の際は、右戸田クメ及び戸田登志恵は死亡しており、戸田勝秋が居住していたことが認められる(なお、《証拠省略》によれば、戸田クメは昭和四六年一一月二日、戸田登志恵は同四七年五月二七日それぞれ死亡している。)。右事実によれば、戸田勝秋は、復員後、本件建物に居住したことはなく、戸田クメ及び戸田登志恵が死亡した後、右建物に入居したことを推認することができる。右推認をくつがえすに足る証拠はない。

(2)  控訴人互助会の主たる事務所、事業等について。《証拠省略》によれば、控訴人互助会は、昭和二二年一月二一日成立し、登記簿上、主たる事務所が品川区北品川三丁目三一二番地に置かれ(従たる事務所の設置はない。)、その目的は、「終戦に伴うビルマ引揚者に対し生活援護、授産輔導及び自治的生産組織の育成指導をなし、これが生活の安定を図ると共に産業の振興に寄与する。」とされていたこと、登記簿上、右目的は、一貫して変らないが、主たる事業所は、昭和四九年四月二二日北品川四丁目八番二号(すなわち本件建物)に変更の登記が経由されていることが認められる。

そして、前記甲第二六号証の二によれば、控訴人互助会は、その成立後、旧ビルマ国大使館の建物内にその事務所を置いて事業を行っていた(この点については、証人今仁眞喜雄、同五十嵐純一の各証言を加える。)が、昭和二四年五反田六丁目に事務所を作り、同所を本部となし、右大使館の建物には残務整理のため暫時分室を残すにとどまったことが認められ、同控訴人が、本件建物に事務所を移したことを認めるに足る証拠はない。《証拠省略》によれば、昭和四六年六月二三日及び同年九月一八日の各点検の際は、本件建物につき控訴人互助会の占有のことが何ら述べられず、昭和四九年一月二八日の点検の際に、同控訴人の占有が戸田勝秋によって述べられていることは、右事実を物語るものである。控訴人互助会代表者の本人尋問の結果(当審)中には、控訴人互助会は、本件建物に本部ないし事務所を置いたと述べる部分があるが、措信することはできない(慰霊のことについては、次に述べる。)。

(3)  控訴人互助会代表者の本人尋問の結果(原、当審)及び甲第二六号証の二中には、控訴人互助会の事業は、引揚者、被災者に対し住宅を建て安く提供することとビルマにおける戦没者の慰霊であるという趣旨の供述及び供述記載部分があり、その意味は、同控訴人が、本件建物において右慰霊の事業を行うことによって右建物を占有し、ひいて本件土地を占有したというにあるものと解される。しかし、右供述及び供述記載部分は、そのまま採用することはできない。

むしろ前掲各証拠を総合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、戸田勝秋は、昭和二一年七、八月頃ビルマから引揚げてきて、旧ビルマ国大使館の建物に母戸田クメ、姉戸田登志恵その他の家族と住み、一方、控訴人互助会を作って、事務所を同建物内に置いた。控訴人互助会は、米軍から資材の払下を受け、これを用いて多くの住宅を建て、これを引揚者、被災者らに安く提供した。そのうち、右大使館の建物から退去するようにとの指示があり、いつまでも同建物にな居住を続けることが困難とるな状況とってきた。そこで前認定のとおり、戸田勝秋は、昭和二六年五反田三丁目の方へ転居したのであるが、それより前、戸田クメらの移転先が話題となった。その際、戸田クメは、終戦前から在日ビルマ留学生の世話をしたり、在日旧ビルマ国大使との交際があったので、かねての信仰心や読経ができることから、ビルマにおける戦没者の霊を慰めたいと希望し、その場所は、旧ビルマ国大使館の建物敷地に隣接する本件土地が、所縁があってよいと希望した。たまたま当時は建築制限があり、慰霊堂という名目であれば、一定規模以上の建築が可能であった。戸田勝秋は、結局、母の右希望に賛成し、資材の入手や建築の人手に事欠かない控訴人互助会において、昭和二十三、四年頃慰霊堂兼住宅である本件建物を建築し、その完成後直ちに戸田クメ及び戸田登恵志が入居した。右建物は、建築のはじめから戸田クメの所有とする予定であったので、控訴人互助会は、昭和二五年三月頃戸田クメに対し、本件建物を贈与した(控訴人互助会代表者の当審における供述中には、本件建物は、現在に至るまで、実質上は控訴人互助会の所有であるとする部分があるが、措信しない。)。爾来、戸田クメは、本件建物において慰霊のことを行ってきた(証人今仁眞喜雄は、ビルマの戦没者の慰霊を戸田クメが一人でやっていたと思う旨述べている。)。

《証拠省略》によれば、乙第二号証が真正に成立したことが認められるところ、右乙第二号証は、控訴人互助会の昭和三九年度事業報告書及び収支決算書(昭和四〇年一一月二九日作成)であり、昭和三九年六月二〇日本件建物においてビルマ方面戦没者慰霊法要を営んだ旨の記載があるが、前記(1)(2)の経緯、本件建物が建築されるに至った前認定の経緯、控訴人互助会の目的が登記簿上何ら変更されていないことに照らすと、果して控訴人互助会が主体となって右法要を営んだものか、にわかに断定しがたいのである。終戦後年月の経過とともに、いわゆる引揚者、被災者の住宅の需要も減少してゆき、控訴人互助会の事業内容も変っていったであろうことは推察に難くないが、それだけで右判断を左右することはできない。のみならず、本件の時効期間内については、右のごとき直接の証拠はなく、「戸田クメが一八年間専任堂守として日夜供養に勤めてきた」(右乙第二号証)というのであって、むしろ前示判断を支持するものである。

(4)  以上の次第で、控訴人らのいう期間中、控訴人互助会が本件土地を占有したとの控訴人らの主張事実は、これを認めることができない。他に右判断を動かすに足る証拠はない。

それ故、控訴人らの所有権の時効取得の主張は、採用することができない。

二  以上のとおり、本件土地は、被控訴人の所有に属すると認められるところ、控訴人戸田光子がその地上に本件建物を所有し、控訴人互助会が該建物を使用占有して、それぞれ本件土地を占有していることは、当事者間に争いがない。

そこで、控訴人らの占有権原の有無について検討する。

まず契約による地上権取得の主張についてみるに、控訴人らは、本件土地を含む東京都品川区北品川四丁目三〇三番の六の土地がもと亡テイ・モン及びその相続人リンビンの所有であったことを前提として、当初リンビンと控訴人互助会との間に地上権設定契約が締結され、次いで、被控訴人と同控訴人との間に、被控訴人がリンビンから前記土地の所有権を取得することを前提として、前記契約と同一内容の地上権設定契約が成立した旨主張するのであるが、前記土地は、亡テイ・モンが旧ビルマ国大使として、同国を代表して同国のために買受け、終戦後旧ビルマ国からイギリス本国を経て被控訴人の所有に帰したものであって、テイ・モン或いはリンビンの個人所有の土地ではなかったこと前段説示のとおりであるから、控訴人らの主張は、その前提を欠いているのみならず、前記土地につき、控訴人ら主張のような各地上権設定契約の成立したことを認めるに足る確証はない。

もっとも、成立に争いのない乙第一号証によれば、昭和二九年三月二三日付で、当時在日ビルマ連邦総領事であったミャット・タンが訴外戸田クメ(控訴人互助会代表者戸田勝秋の実母)に宛てて発したと解される一通の書面(乙第一号証)の存在することが認められるが、右書面の内容は、「ミャット・タンが被控訴人の総領事として、被控訴人政府のために、本件建物を同政府の名義で登記するためその仮の譲渡を受けること、将来戸田クメ又はその相続人が要求したときは、右建物をこれらの者に再譲渡することを約すること、並びに戸田クメの希望があるときは、同人は、被控訴人政府に対する本件建物の売渡及び永久的譲渡につき同政府と交渉することができることを付言する。」というに過ぎないのであって、本件土地の利用権については何ら触れるところがないのであるから、右書面の存在を以て控訴人ら主張の地上権設定契約成立の証左となし得ないことは、いうまでもなく、右乙第一号証を受領する際、ミャット・タンから、建物敷地について地上権の確認を得たという控訴人互助会代表者の本人尋問の結果(原、当審)も、にわかに措信し難い。結局控訴人らの前記主張は、これを採用することができない。

次に、控訴人らは、控訴人互助会による地上権の時効取得を主張するが、(右主張を却下しないことは、前説示と同様である。)控訴人互助会が、本件土地を占有した事実、地上権者としての意思をもって占有すると認めるべき客観的事情の認められないことは、さきに所有権の時効取得について説示したところから明らかである。右主張も亦採用することができない。

なお、控訴人らは、戸田勝秋についての所有権及び地上権の取得時効をも援用するかのようであるが、控訴人らは、右時効によって直接に権利を取得するものではないから、これを援用することは許されない。のみならず、仮に許されるとしても、戸田勝秋に所要の占有が認められないこと前説示のとおりであるから、右主張は、この点においてすでに失当である。

結局、控訴人らの占有権原についてはその立証がないといわなければならない。

三  以上の事実関係に徴すれば、控訴人らは、権原なくして本件土地を占有し、故意又は少なくとも過失により被控訴人の土地所有権を侵害し、被控訴人に対して賃料額に相当する損害を与えているものというべきである。この点に関し、控訴人らは、本件土地はいわゆる非課税地であるから、これを不法に占有しても所有者に損害を与えたことにならない旨主張する。本件土地が昭和三八年度以降いわゆる非課税地となっていることは、《証拠省略》によってこれを認めることができるが、たとえ非課税地であっても、所有者にその使用収益が許されている以上(本件土地につき、被控訴人においてその使用収益が禁止ないし制限されていると認むべき事情は全く存しない。)、他人の不法占有によってその使用収益を妨げられたことによる損害が発生するのは理の当然であり、右損害額は特段の事情のない限り、賃料相当額であるというべきである。

そして、《証拠省略》によれば、本件土地の昭和四一年一月当時の適正賃料額は、坪当り月額金三六七円五三銭であることが認められ(他には右認定に反する証拠はない。)、その後の諸物価の変動に鑑みれば、該土地の昭和四九年以降の適正賃料額は少くとも右金額を下らないものということができる。そこで、右金額を基礎として本件土地の賃料相当額(月額)を算出すると、請求拡張前の本件土地(一〇一坪五合四勺)のそれは金三万七三一八円(円未満切捨)、本件土地(五〇五坪四合九勺)のそれは金一八万五七八二円(円未満切捨)となることが計数上明らかである。

四  以上の次第で被控訴人の本訴請求は、控訴人戸田光子に対しては本件建物を収去して、控訴人互助会に対しては本件建物から退去して、本件土地の明渡を求め、かつ控訴人らに対し、該土地の共同不法占有による損害の賠償として、控訴人戸田光子については同控訴人に対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四九年六月一六日以降、控訴人互助会については同控訴人に対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな同年同月二一日以降請求拡張の趣旨を記載した準備書面が控訴人らに送達された日であること記録上明らかな昭和五六年九月九日まで月額金三万七三一八円、同日の翌日である同年同月一〇日以降前記土地明渡済に至るまで月額金一八万五七八二円の割合による賃料相当損害金の支払を求める限度でその理由があり、これを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきである。

よって、本件各控訴を棄却し、被控訴人の附帯控訴に基づいて、原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九六条前段、九二条但書、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉田洋一 裁判官 松岡登 木下重康)

〈以下省略〉

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